2024/6/3 新基地建設強行の現場から
6月1日(土)の県民大行動での訴え
はいたい!みなさん、雨の中お集まりいただき、ありがとうございます。
大学四年の渡具知和奏と申します。
緊張しているので、ここからは、メモを読みながら話させていただきます。
●私にとって、ここは、通いなれた場所です。
2歳のころから家族と共に、毎週土曜日、「ピースキャンドル」という活動を行ってきたからです。この活動も、今年20年目になります。
ペットボトルでつくったキャンドルを手に、「大浦湾を守りましょう」と道行く車に手を振っていく。
友達がカラオケに行く休みの日に、私は、WARNING警告と書かれたフェンスの横に立ち、声をからしています。●しかし、その20年間の半分は、私にとって、やっている意味も分からずにいた時間でした。どうしてここまで、活動を続けるのか、特にその疑問の矛先にいたのが、私の父でした。父の仕事のお客様となる建設会社は、米軍基地建設にも関わりがあることが多く、キャンドルを始めた当初は、父の仕事にも影響がでていました。受けた仕事場でも、嫌な顔をされることも多かったといいます。
それでも、顔も名前も出して、反対を続ける父。
「どうして、そこまで…」と、大雨が降ってる時でも、かっぱを着て仕事場に向かう父を見るたびに、そこまで反対する意味が分からずにいました。●しかし、その考えに変化が生まれたときがありました。それは、キャンドル活動10年目を迎えた小学校6年の春。いつも通り、キャンドルに火をつけ、メガホンを手にお腹に力を入れた時でした。「何をしているんですか。」向かい側に駐車された車のドアをバタンと閉め、降りてきたのは、大勢の、紺色の帽子を被った大人たち。聞けば、フェンス周辺の警備が厳しくなったため、注意喚起にきた機動隊でした。「直ちにやめてください」そう言いながら、10人の男たちがどんどん近づいてくる。横断幕を持った私の手は、見て分かるほどに震えていました。
すると、その時、「子供たちと、こんな活動を一緒にやって恥ずかしくないんですか」訛りっ気のない標準語で、機動隊の一人がそう言い放ちました。え?この人何言ってるの?私は、状況を把握できないまま、ただ、その言葉が頭の中で響いていた、その時でした。
言い放った機動隊に顔をしっかり向け、父がこう言ったのです。「この問題は、子どもたち自身にも関わることだ。その未来を親が一緒に守らないでどうするかぁ!?」●この言葉を聞いたとき、私は、目の前の、この問題から逃げることをやめました。キャンドルでは毎週声をからし、道行く車に、「大浦湾を守りましょう」と、父には劣りますが、大きな声で訴えるようになりました。
大学生になった今では、アフリカのルワンダに赴き、学生に、沖縄の平和運動を伝えたり、2022年の知事選挙において、沖縄の課題を若者が少しでも身近に感じてもらえないかと、デニーさんとのイベントを企画するなど、少しずつですが、自分ができることに目を向け、挑戦しています。
●今もまだ沖縄は、激動の歴史の中にいます。理不尽なことがまかり通るようなこの世の中で、どう未来を描いていけばいいのか。そう自分たちの進む先が、真っ暗に感じてしまうときもあります。
しかしそれでも、顔をあげれば、父のように、そして、皆さんのように、平和への思いを繋ぎ続けてきてくれた存在がいる。
だからこそ、今まで平和が紡がれ、私のように、世の中の歪さに気づき、今度は自分たちが伝える番だと、動き始めている人たちが現れています。反対する意味すら分からず、ボーとキャンドルの火を眺めていたころから20年。今の私が見えているのは、ささやかな、でもかけがえのない、笑顔があふれた、今を生きる私たちだから、創っていける未来です。これからは、その明日に向かい、世代の垣根を超え、思いを繋ぎ、広げていく。そのためにも、みなさんと一緒に、歩み続けていくことを誓います。
わったー、わかむんたーかい、まかちょーけー!ありがとうございました。