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裁判官は憲法に殉じ、法に殉じよ

寄稿  弁護士 内田雅敏 

司法の役割は『酔っぱらった民衆』が『しらふの民衆』の意思を無にすることの防止にある

安保関連の2つの最高裁判決定がなされた。一つは9月4日、辺野古米軍新基地建設の設計変更を玉城沖縄県知事が不承認としたことについて、最高裁が沖縄県知事の上告棄却としたものである。この決定により、玉城知事には、国の設計変更を承認する義務が生じ、設計変更をめぐる法的問題に「決着」を付けたとも言われている。もう一つは。9月6日、安保法制違憲訴訟で、最高裁が原告側に「訴えの利益なし」として、原告らの上告を棄却する決定をなしたものである。いずれも具体的な中身に入ることなく、形式論理でなされた決定で、裁判所としての仕事をしていない。前者については、国が「私人に成りすまし」、行政不服審査法により、国の設計変更についての玉城知事の不承認を、取り消し、承認せよと国に訴えるという本来法の予定していない(国が国に訴えれば国の要求が認められるのは当たり前だ)禁じ手を使うという大問題があった。最高裁の上告棄却決定は、この大問題を完全にスル―した。後者の「安保違憲訴訟」でも「禁じ手」問題があった。2014年7月1日、安倍政権は閣議決定により、それまで憲法上許されないとしてきた集団的自衛権行使容認に踏切リ、翌2015年9月19日未明、安保法制を強行採決した。それに先立ち、集団的自衛権行使容認に抵抗していた内閣法制局長官の首をすげかえるという「禁じ手」を使った。このような禁じ手を使った日本安全保障政策の大転換(その背後に米軍がいることは辺野古と同様だ)に対して、全国各地で安保法制違憲訴訟が提起されたのは当然だ。しかし、最高裁は、安保法制によって国民の権利が具体的に侵害されていないから、裁判所に救済を求めることが出来ないと門前払いをした。2023年9月13日朝日新聞夕刊「素粒子」は以下のように書く。「官邸の守護神」の名は今月の最高裁にこそふさわしく◎4日 国民が行政を正すためにある制度を国が利用し、民意に反する辺野古工事を強行しても問題はないと判決。6日 国民の権利が実際に侵害されなければ、違憲か否か判断しないという判例を踏まえ、安保訴訟を門前払い司法は、安保と天皇制について思考停止とも言われるが、それにしてもひたすら逃げの一手のこのこれら最高裁決定はひどい。かって、沖縄密約電報事件に際して、西山太吉被告の弁護団長を務めた伊達秋雄弁護士(砂川事件一審の裁判長)は、その弁論の結びで、最後の支えとなるのは裁判官の良心であるとして、「強いて心情的にいうならば、裁判官は憲法に殉じ、法に殉ずるしかないのであります」と述べた(澤地久枝『密約』)。スティーブン・ブライヤー米最高裁判事は、司法権の役割について以下のように述べる。「民主的に選挙された政府が少数者を不当に扱い、ついには民主主義そのものを捨て去ってしまった二十世紀の歴史に鑑みるならば、司法権は、わが国でも、外国でも、少数者の権利を尊重し、『酔っぱらった民衆』が『しらふの民衆』の意思を無にするようなことを防止する、そのような民主制を安定させる制度上の重しとして捉えることができる」(『アメリカ最高裁判所』大久保史郎訳) 。

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