2024/03/07 新基地建設強行の現場から NO、2 かんちゃん 寄稿
名護バスターミナルから辺野古にバスに乗って、ゲート前の座り込みに参加しました。誰も知り合いがいなかったので、ゲート前テントの端のほうに座り、時間になるとみんなと同じように座り込みをしていました。ある時、途中のバス停から、杖をついた高齢のご婦人が中年のご婦人に助けられながらバスに乗り込まれました。そのご高齢のご婦人はゲート前の座り込みに参加していました。とても胸打たれる行動でした。安和でも抗議活動を行っているけど人数が少ないことを知り、安和にも出かけるようになりました。この2~3か月間はコンビニの店員さんと会話を交わすくらいで、誰ともほとんど話をしていませんでした。寡黙にひたすらにという姿勢でいました。ある時、安和で休憩して海を見ているときにチラシをもらいました。「船に乗りませんか?」の文字が飛び込んできました。実は昭和の終わりに船舶の免許を取っていたので、こんないい機会はないとさっそく連絡しました。これが海上行動チームに参加するきっかけとなりました。▼今は、年間150日くらい沖縄に来て、主に海上行動チームの一員の船長として活動に参加しています。寡黙にひたすらにという姿勢は、仲間ができておしゃべりとなり飲み会にも参加して、楽しみ?ながら活動に参加しています。沖縄に行くにあたって、沖縄の人に迷惑をかけない、そのために自動車は運転しないと思っていましたが、どうしたことか、いつの間にか軽トラに乗ってゴムボートを安和まで運んだり、車を譲り受けバスでなく車で辺野古に行くようになったりしています。続く