2023/3/2 新基地建設強行の現場から
早坂さんが亡くなった。26日の正午にお孫さんから連絡をもらった。遺志をつぐ想いを強く感じた。早坂さんは大きな仕事をした。業者の営業とくらしを守る運動に取り組みながら、平和でこそ商売繁盛の全商連・民商の真骨頂を示した人生だった。1997年の名護市民投票に駆け付け、その後安保廃棄中央実行委員会の責任者として全国を駆け巡り、2014年から名護の東海岸に居を構え(?)、闘いの現場に駆け付け取材し全国に発信した。その影響は大きく権力にも注目、畏怖された。朝の散歩は百名山を達成した人にふさわしい日課だった。やんばるの森の新鮮な空気を吸いながら、野鳥の声を聞きながら、様々なことを考えていた。たまには野ネズミや虫にも悩まされた。残されたCDから幅広い歌を愛し、酒をこよなく愛したこともうかがえる。たまに酒を一緒に飲むこともあったが、もっと付き合い語り合いたかった。早坂さんが旅立って、空虚な気持ちだ。信じられない気持ちだ。療養に千葉に帰られる時に固く握ったこぶしに再会の気持ちを託したつもりだが、それもかなわぬことになった。人の一生を思うとき、はかない気持ちになることがある。軍拡・大増税の嵐が吹きすさむなか、おもいきり健筆をふるいたかっただろう。それもかなわぬが後を継ぐ私たちの責任は重い。あなたが沖縄から療養のために千葉に帰るとき言った言葉、「沖縄でいい人生を送れた」と、語った言葉は私の想いと一緒だ。盟友早坂義郎さんありがとう。 ミサトススム